お待ちかね いつものように 此方のページから
「1976年 その頃 未だ存在してくれていた人たち
父や母 一つ上の姉 その時は未だ 存在していなかった人たち
作られていない歌 訪れていない町や土地
おかしていない失敗 や 過ち そして償い
さまざまな出来事 出会った人たちが今の自分を作っていることに 気づき
今も未完のままの自分がいることに 気づきます。」 途中省略
何時もながら 良き言葉 重みを感じつつ 最初のページから読み始めます。
「second OF BIUE 1990 」というシングル配信・・・
「ピリオド」が皆さん 勘違い ツアーの前半 後半 という 呼び方
外国では、サッカーの時 fastピリオド secondピリオド 言い方
終止符という意味合いもあり・・「ひょっとして最後?」と思われた人が居る
前半も後半も セットリスト大きく変更はなく 春にふさわしい曲も何曲か増やす
10年周期で・・人が成長する ひとつの変わり目
最初の10年 食べられないほどでも・・でもデビューして 上手くいかず
お金も無い 自分の生活の境遇がアルバムに反映
70年代 ミュージシャン主体の音楽リスナーが置いてきぼり 反動で出来たのが
ディスコミュージック 俺が音楽を始めたころ そういった時期だった
1986年 「J.BOY」がリリース ポップな 音楽 迷える弱い自分が・・・
「home bound」からロックに戻り このころから 私としては彼の音楽が
大好物になったような?
「FATHER’S SON」 「誰がために鐘は鳴る」 「その永遠の一秒」
どれも考えさせられる テーマ曲ですが
ご本人も 精神的に疲れていて 30代から40代 超えるのが 大変だった とか
そこを抜けたのが 「青空の扉」? その頃 初めて 浜田さんの liveに参加した覚えが・・・
その後 毎回 LIVEへは、出向くように そして 電話で予約チケット
取得できず 等々 50代にて ファンクラブへ 入会
でも 今回のsecondは、どうにもこうにも チケット取れず
でもこの会報にて fastと同じコンセプト そして未だ先があるので一安心
「MY FIRST LOVE」コンビューターから バンドへ・・
2011年の震災を後に 重く濃い・・旅する ソングライター
「光の糸」「誓い」などの楽曲が出来
10年後の73歳 デビュー50周年(4月21日)
自分自身の歌を歌う時期 残された時間がそんなにもう長くない
これまで作って来た歌をライブで観客に聴いてもらいたい
引退コンサート 最後の・・とか たぶん 言わない
彼らしい 静かに見守りたい
私も 金婚式を迎え 4月21日は、くしくも夫の誕生日
その頃(新婚当初) 未だ浜田さんの 存在も知らず
子育てが ソロソロ の時に 自分に何が・・と思われた時 知って
救われ 皆さんも きっと同じような 気持ちの方が多いかと 助けられ
短い 先では、ありますが 今後も 続く限り LIVE楽しみたい
10年ごとの 節目 はっきりしていて・・最初の10年ほとんど知らずの私
でしたが なんとなく 理解出来ました。
今回も会報有難うございました~