広島の旅

私の誕生日にと パートナーが 何処か 行きたいところ 希望は、有るか?聴かれ 即座に「安芸の宮島」と 答え それから 一週間ちょっとで ネットで 申し込み 以前から 行きたかったらしい
広島 原爆記念館へも・・・

千歳を9時に 出発 乗り継ぎが 羽田にて なんと 3番ゲートから 13番ゲートまで 歩く。
セキュリティーゲートは、通らず 済むので 時間は、かからず でしたが いきなり 大変。

広島空港から 今度は、リムジンバスにて 広島 市内へ 移動 バスターミナルに 着く頃は、2時を廻り そこから 徒歩にて 原爆ドームへ・・・幼い時 テレビにて ドームが 映り 私が「ここ もしかして?」と 父親に・・・父も「そうかも」と 話したことを 思い出し その場に 立っている自分が不思議でした。
まずは、おリづるタワー屋上から 市内を平和公園を 一望。
係員が いて 説明してくれ 爆心地が 川の合流地点 目指すも 上空なので 風等の影響で位置が ずれて
島医院が 本当の 爆心地。 上空600メートル地点で ピカ だったらしい。勿論 皆さん即死。
医院長は、その日出張で 留守。その子供たちは、疎開して 難を逃れるも 同じ その場所で 戦後
開業。今は、孫が 経営 されて いらっしゃるらしい。
原爆による 放射能の影響は?尋ねると
枕崎台風によって 吹き飛んだ」そうです。しかし 浜田省吾さんの父親は、被災した方々の救護に
あたり 二次被ばくされ のちに 亡くなって いるらしい。なので 疑問です。

平和公園を 散策 川沿いにて きっと ボランティアの方がたが 高校生のグループに 説明されていて
外国人グループも 多く 色んな 言葉が 飛び交い ガイドさんの説明 熱心に 聴いている。
世界遺産に なった だけに 寒くとも 結構な 人が・・・
記念館は、残念ながら 改築中で 一部 公開。無料の 処だけ 見学。エレベーターに乗り 上階へは、
200円入場料?で きっと 同じような?で 止めることにしました。
私は、ドームより 記念館より 川沿いを 歩き ここで 人々が 水を求め・・・と思うと 胸が詰まり
そして「八月の歌」が 頭を 駆け巡り 暫く 詩と 曲が 離れませんでした。

夕方になり 一度 ホテルへ チェックイン。荷物を置き 夕飯へ・・・お好み焼き「なっちゃん」へ
フロントにて 予約を入れてもらい 難なく 食べられ 牡蠣の鉄板焼き 最高でした。お好み焼きは、
庶民の味 ココが 発祥のお店らしい。
帰りに 三越へ 寄り 果物と広島の銘菓を チョイス。私が ワザと優待カード持参しなかったことに
「大きな都市は、どこでも 三越が・・・持ってくるべき」と言われ まさかの失態。丁度 バレンタインも 近く ノイハウスの チョコが 有るでは、ないか?もう一度「持ってくるべき」言われ ちょっと ムッとし ホテルに付き 一息いれてから 部屋のバスルームは、 小さいので 大浴場へ・・・
入り口で セキュリティーチェックインで ドアが開き・・ 広い?そして 貸きり状態。大満足。

二日目は、いよいよ 安芸の宮島へ 路面電車にて 宮島口まで 一時間以上?遠い でも 市内を 見渡しながら
フェリーもこみで 一日乗車券。でも ネット調べにて JRのフェリーが お薦めとかで 一度は、そちらで・・・大鳥居が 見えて来て 近くを通ると そんなに 海側でも?結構 対岸近くにそびえ
木材は、削らず そのままの 形にて 色は、朱色でしたが 曲がったそのまま使用。干潮の時に 建てたとはいえ 昔の人は、凄い。厳島神社は、創建 推古元年(593)1168年に 平清盛が現在の
規模に・・・海沿いを歩き 神殿を見 途中 野生の鹿が 知床の鹿と違い 薄汚れ 土色の毛並み。
雨が 降って いるせいも 有りかな~
足に 自信の 有る方は、清盛神社へ・・・とネットで 見た為
行ってみると そんなに 距離は、無かったですが 小さな建物で しかも 新しい。昭和29年創建。

一旦 対岸へ 戻り サプライズの ホテルにて 昼食。鯛茶漬け 定食。生の魚ではなく クロダイ
そぼろ状に したもの。美味しかったです。
その日は、天気予報が 終日 100%の降水確率。もう一度 フェリーにて 宮島へ・・・今度は、店が
立ち並ぶ 小径で・・・誰かが 記載していましたが ろくな 土産が どうでもよい 土産品しか・・・
本当に そうかも?揚げモミジ なるもの 串にさして 売っていて 食べてみるも やはり 私の好みではなく 胸やけ?(笑)やまだやにて 買った 黑餡(ゴマ)と桐葉菓は、美味でした。

一応 ロープウエーに乗り 展望 しかし この雨?誰もいず そこまで バスにて 運んでくれた
運転手さん ゴールデンウィーク期間と 紅葉の季節は、混み合い 何時間も 待ち そこまでの
道のりも 運転できずの 混雑ぶり と 話されて いました。

乗り継ぎ 地点にて 混んでいる?と 思ったら 引率の先生らしき人が 私に 席を 譲ってくださりインターナショナルスクールの 旅行で 調布から 来ているので・・ やはり 日程変更利かず・・・
窓も 真っ白で 外は、何も 見えず でも ユーモアを交え 江田島 こっちが 呉市 と 英語で
生徒たちに 説明している。我々は、散策したくも 寒いし 視界は、何も・・・で 直ぐに 退散しましたが 彼女らは、未だ 残って いました。

瀬戸内は、冬でも 暖かいと 侮って いたら 結構な 寒さ で 厚手のダウンを 着こんで 出かけて 来て 正解でした。
孫たちの キティちゃんの キーホルダーを 購入し 宮島を後に・・・また 電車にて 今度は、
始発から終着駅の 広島駅まで 駅前屋台お好み村へ なんと 札幌のラーメン屋台のように ビル内
ビニールの暖簾で 仕切り ジャルパック 今回 色々な 特典利用で こちらでも 焼き物 と飲み物
デザートに 勿論 お好み焼き で お腹いっぱい また 電車にて ホテルへ戻りました。

最終日 今日は、どこへ と 思ったら ホテル近くの「頼山陽」史跡資料館 こちら シニア料金でリュックから 証明出すのが 面倒・・見せなくとも 良いと 言って くれ 見学。
私は、知らなかったのですが 進学校では、きっと 日本史で 習った様子。江戸時代に活躍した
漢学者 文人 「日本外史」の著者。史跡 居室が 再現 勿論 原爆で 消失し・・庭があり
みかんが 生っていて 地面に 落ちていて 頂いて良いか 尋ねると なんと 枝ばさみで 切り落としてくださり リュックに 入れ 帰宅してから 食べましたが 美味しい。誰も 品種名 知らず
地面に 熟し落ちていても 気にも留めず こちらで 買えば 結構な お値打ち品と 得した気分でした。

今度はそのまた 直ぐ近くの 小学校 袋町小学校平和資料館 玄関を入ると 白髪の女性が出て来て
案内を してくれ 小柄ですが 眼光鋭く 当時の 様子を語り始め 漆喰の壁に 今も残る 伝言板
そこにいて 難を逃れ 助かった児童がいた話。心に 残りました。「どうか お元気で 語り部を」とお別れしてきました。皆さん 一様に「枕崎台風放射能・・・」と 語り そう願っての事か・・・

次は、美術館 こちらでは、あまり 知らない 画家の絵画展。見ずに 売店のみ 見学。
そして 広島城へ・・・こちらも シニア料金あり ですが 証明する物 一人ずつ 提出。
平成3年に 再建。こちらも 勿論 原爆で 消失。階段を上り 天守閣へ・・・まだ 大阪城の方が
エレベーターがあり 助かるのに・・・とか 思って 室内は、どこの城も 同じような 展示物ばかり
階段の 昇り降りで 疲れたので 甘酒で 一服。でも 紙コップ 風情が無い。
お濠で 錦鯉が 肥って 泳ぎ 原爆でも 倒れなかった と言う 木が 点在していました。

お昼 近くになり そごうデパートにて 中華を食べ 地下で お土産 トマトの入った お菓子?購入し
バスセンターから 空港へ・・・

機内にて シートベルトをし離陸? その時 バッグが 無い?と 大慌て 添乗員さんに 報告し
なんと 肩から 下げていたのが 落ちたようで 後ろの方が 届けて くれていて 難を逃れ
海外でも 一度 ホテルの部屋に戻って 置き忘れ レストランへ 戻って 日本人ツアー客しかいなかったのと ガイドさんが いらして 取り置き 有り。まだまだ 日本人は、真面目。
そんな ドタバタ劇も 羽田にて 今度の乗り継ぎは、すぐ近くでしたし・・
慌てずに 広島 桜ラウンジにて すごしたまでは、良かったのですが(笑)

今回 ジャルパックの 特典生かし 調べ抜き 色々と 見て歩き 楽しく そして パートナーに
感謝の旅 でした。そして健康で いられる 事にも・・・何時まで 続けられるか?